沖縄に目を向ける

2016年2月26日 12時08分 | カテゴリー: 活動報告

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2月13日から15日にかけて、沖縄の基地を視察しました。

案内してくださったのは、沖縄平和ネットワークのガイドさんです。ただ見て回っただけではわからない歴史や様々な事情を丁寧に解説してくださいました。
13日は南部戦跡を巡る旅。ガマ(鍾乳洞。それを防空壕に利用したもの)の暗闇の中、百人単位の市民がその場で命を落とした事実に衝撃を受け、市民、兵士、外国人すべての沖縄戦犠牲者の名を刻んだ平和の礎では、沖縄の方たちの怒りと悔しさ、そしてこの犠牲を永遠に語り継がなければならないという意志の強さを感じました。
14日は普天間基地、嘉手納基地、そして辺野古へ。高台から望む普天間は、住宅密集地の中にあり、次々に滑走路が広げられた結果、今では航空法違反の状態で爆音を放ちながら戦闘機が飛んでいます。一刻も早い返還を望むところです。その代わりに辺野古を作る、というのが大方の国民の理解かと思います。が、辺野古埋め立て基地の建設は、普天間返還を決めたはるか以前から計画が進行していたものだということを学びました。外交問題や利権が絡む中、難しい問題もあるでしょうが、辺野古の美しい海を見ていると、人間の勝手でこの海をつぶしてはいけないという思いがふつふつと浮かんできます。テント村を訪ねたのち、基地前で座り込みをしている沖縄や県外の方々と交流し、その思いを語り合いました。

リゾート地とは別の沖縄の一面。そこを辿っていくと、アメリカとの安保政策のしわ寄せはほとんど沖縄がかぶり、沖縄は今でも捨て石とされ、差別されている過去、そして現状がよくわかります。国が顧みてくれない悔しさ、ふがいなさ、そして県民の怒りは、この地を訪ねてみなければわかりませんでした。現在、日本では米軍基地の存続のため、いわゆる思いやり予算を含めて1日当たり19億円の税金を使っています。アメリカ軍兵士の家族が利用する基地内の学校や住宅は、私たち日本国民の働いたお金で作られている事実。その一方で貧困の中にある6人に1人の日本の子ども。やりきれない思いがします。

ガイドさんの説明によれば、基地は、言うまでもなく戦争のためにあります。戦争には何が必要か。その第1は、「敵」です。現在、沖縄には中国、北朝鮮の脅威の名のもとに日本の各地から自衛隊員が集まり、ミサイル防御の体制を作っています。事が起これば、まず沖縄が戦場になるであろうことは、容易に想像できます。そこで「敵」を押しとどめて本土への侵入を防ぐのです。また沖縄が捨て石とされるのです。

「平和安全」のために、昨年安保法制が成立しました。集団的自衛権の行使によって、日本も戦争に介入する可能性が高まりました。ひとりの市民として、母親として、私は今の状況がとてもこわい。先の戦争も「平和のため」と始まったことを忘れてはなりません。そして日本が、沖縄が戦争に巻き込まれることは二度とあってはなりません。

ガイドさんによる第2次世界大戦についての話の中で、伊丹万作(伊丹十三の父、大江健三郎の義父)の言葉が印象に残りました。
戦争責任は誰にあるか。国民はだまされていたのか。
以下、抜粋です。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

以下、全文です。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

今、この時代にこそ、肝に銘じなくてはならない言葉の数々に感銘を受けました。