大和市平和都市推進事業 ピースリングツアーに参加しました

2016年9月13日 19時18分 | カテゴリー: 活動報告

image image image9月11日(日)、大和市平和都市推進事業のピースリングバスツアーに実行委員会の一員として参加しました。

今回のツアーは、長野県長野市松代町にある「松代象山地下壕」
当日いただいたリーフレットによると、「第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省庁等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9か月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。」という場所です。

岩盤の地下を碁盤の目のように掘り抜かれたトンネルの長さは10キロメートル以上。2交代から3交代の24時間労働で、ダイナマイトと旧式の掘削機による人海作戦、食糧事情も乏しい中での強硬工事は、多くの犠牲者を出したことが想像されますが、当時の資料は戦後、廃棄され、残されていません。1万人ほどの労働者のうち、約6500人が朝鮮人労働者、うち、4000人が朝鮮から強制連行された人だともいわれています。掘り出された掘削土の一部は、列車によって厚木基地にも運ばれたという説明に、大和市民たちはざわざわ。この場所は、私たちの身近な場所にもつながっていたのです。

案内してくださった松代大本営の保存を進める会のガイドさんの説明は、驚くことばかり。
沖縄戦は、昭和20年4月1日に始まり、6月23日に終わりましたが、戦いが終わったのは、松代地下壕が出来たと伝えられたから、ということです。その間に沖縄では数十万人の犠牲者が出ました。「松代ができるまで、沖縄で持ちこたえよ」と沖縄が捨て石にされたことが分かります。
歩いたところは、約500メートルの採掘された一部の場所ですが、当時これだけのものを掘るのがどんなに大変な作業だったかは、入ってみれば一目瞭然です。戦後、天皇が全国を御幸されたとき、善光寺で「無駄な穴を掘ったところはどこにあるか」と訊かれたそうです。すべての苦労は「無駄」だったということです。尤も、天皇や中央省庁がすべて長野のこの山の中に籠るような事態にならなかったのは、日本にとっては幸いでしたが。
このような計画がいかにばかげたものであるかは、冷静に考えればわかるはずです。それを実行してしまう戦時というものの愚かさと狂気、それを実感できる場所でした。

知り合いの話によると、長野の子供たちは遠足などでこの地を訪れ、学んでいたということです。しかし、中には入れませんでした。安全なように整備され、中に入れるようになったのは平成元年から。その数年前、松代の高校生が修学旅行で沖縄を訪れ、「沖縄と松代は深いつながりがある」と聞かされたそうです。高校生たちは、地下壕の保存と公開を市長に要望し、それが公開のきっかけになったということです。もちろん、大人の多くの活動もあったことでしょう。
解説してくださった方は、「日本で起きたことは知らなければいけないこと。だからガイドをしている」とおっしゃっていました。

今、改めて知らなければならないことがある、それを肝に銘じた一日でした。