教育について(2016年12月一般質問より)

2016年12月16日 11時58分 | カテゴリー: 活動報告

 8月1日、文部科学省が示した「次期学習指導要領改定」に向けた審議のまとめは、学習の質の向上に重きが置かれています。「アクティブ・ラーニング」を導入し、子どもたちが話し合いながら主体的に学ぶ方法を提示するなど、自ら考え、発信することのできる人材育成を目指す教育は、国際化社会へと向かう現代の日本にふさわしいものといえるでしょう。

 本市は「対話による美術鑑賞授業」ですでに「アクティブ・ラーニング」を導入しており、子どもたちや教師からもその効果が実感されています。自分の考えをまとめたり、問題を見つけ、解決する学習方法は、知識の定着が深まり、学習意欲を高める効果もあると期待されています。学ぶ楽しさを実感し得る学習方法だと思います。

 人間が生きていくのに必要な未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成、学ぶ意味と自分の人生や社会の在り方を結びつける「主体的な学び」、「考えることのできる人間の育成」は、教育という名にふさわしい、意義あることと思います。社会に出てから、その価値は真に発揮されるでしょう。マニュアル人間、指示待ち人間と揶揄されがちな若者像を払拭する自立した若者が育っていくことを期待してやみません。

 しかし、その理想像が漠然としているがために、学校や先生方の苦労が予想されます。英語や道徳が必須科目になるのに加え、本来、時間のかかる「考えさせる教育」にじっくり取り込んでいくのは大変な努力が必要と思います。そもそも、子どもたちに指導するためには、先生方自身が「思考力・判断力・表現力等」に長けた自立した人間であることが要求されます。

 質 問 

これからの学習指導要領にのっとり、「考えることのできる人間」を育成するためには先生たち一人ひとりが「教育とはどのようなものか」「考えるとは」「考えさせる教育とは」等の哲学的疑問を持ち、教育に携わる必要があると私は考えます。これからの教育について、また、教育とはどのようなものであるかについて、教育長のご意見をお聞かせください。

 答弁の要旨 

学校教育においては、次代を担う子供たちが自らの人生を切り拓いていけるよう、人格の完成を目指して取り組んでいかなければならないと考えている。

また、次期学習指導要領は、既成の概念にとらわれない創造力を培うことや、主体的に社会と関わり合う力を身に付けるための、多様で質の高い学びが重要との方向性を示している。

 教員は、日頃からより良い授業づくりのため自己研鑽に励んでいるが、今後は学習指導要領改訂の趣旨を踏まえつつ、より一層の授業改善に努めねばならないと認識している。

 教育委員会といたしましても、教員一人ひとりの力が余すことろなく発揮されるよう、訪問研修等の様々な研修を実施することで、今後も必要な環境の整備に努めていく。

 

 答弁後の要望

 子どもたちのために教員一人一人がこれからも努力されることを望みます。

ただ私は現在、学校内で「考える教師」がのびのびと生きていくことができているのか、とても疑問に思っています。先生方は様々な志を胸に、教職に就かれたと思います。人一倍、情熱を必要とする職業なだけにやりがいや達成感があり、またご苦労も多いことと思います。それに加えて、昨今、教育現場に国からの圧力が感じられるのではないかと危惧しています。

 

今年、「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というアンケートが自民党のHPに載りました。批判も多く、現在は封鎖されています。下記のような文が載っていました。

「党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。

 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。

 そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いいたします。」

 ひとつの党のアンケートではありますが、現政府の方針に従ったアンケートです。偏向教育に問題があるのはたしかです。しかし本来、「生徒の多面的多角的な視点」を養成するには、この世には様々な意見があることを紹介し、生徒に自ら考えさせ、自分の意思で思想を形成していく教育こそが肝心なのではないでしょうか。このアンケートは暗にその機会を奪うことを強要しているように思われ、私は教育界に対する圧力と受け止めました。

そもそも、教育には、国が個々の人間の思想を動かしていく危険性をはらんでいます。日本の「愛国心」は、教育によって作られたといっても過言ではありません。

社会学者の小熊英二氏は、「私たちはいまどこにいるか」という著作の中で次のようにのべています。

 『近代国家になりますと(略)国民に全員共通の義務教育が行われるようになるわけですが、当時は強迫教育と名付けております。これはCompulsory Educationの訳なのですけれども、強迫教育という言葉の方がむしろ義務教育というものの本質をよく表していると思います。

戦後に日本の農村を調査した民俗学者の宮本常一氏によれば、明治前半ぐらいまでに生まれた老人たちにきくと、忠義とか愛国という概念は全然ないということであります。(略)

彼らが自分の所属する世界として思い浮かべているのは、あくまで村であって日本という国ではないということです。忠義というのはもともと武士の道徳ですから、農民には無縁のものです。つまり愛国心というものは、義務教育によって国民共通の教育を受けることによって浸透してくる。そしてその一番大きな武器として存在したのが「日本歴史」というものであるわけです。

こういう流れの中で「日本史」という概念も初めて生まれてくるわけです。明治政府は政権をとった後、直ちに太政官正院に歴史課を置き、それから東京大学というものがつくられ、そこに史学科というものをつくります。』

 私はこれを読んだとき、妙に腑に落ちた記憶があります。その後の第2次世界大戦前の教育は、これを強力に実践したものです。

 幸いにして、今の教育現場には、国家による圧力を感じる場面はさほど多くはありません。ただ卒業式を除いては。

 永井愛作「歌わせたい男たち」という戯曲があります。読売演劇大賞最優秀作品賞受賞作であり朝日舞台芸術賞グランプリを取った喜劇です。私は2008年の3月、紀伊国屋ホールで上演された二兎社による再演をたまたま観ていますが、非常に面白く、優れた劇でした。主演は戸田恵子です。

 都立高校の音楽講師であるシャンソン歌手の主人公を中心に、卒業式当日のドタバタを描いた劇です。「歌わせたい男たち」というのは、校長先生、その他の教師です。非常勤として雇われ、国歌のことなど考えたこともなかった売れないシャンソン歌手の主人公は、卒業式で君が代を歌う、歌わないのごたごたの中で、「これはどえりゃあ問題なんだって、今やっとこさわかったわ……」というセリフを吐きます。

 ただ一人、歌うのを拒否する社会科教師の拝島と校長の与田のセリフは、この問題の核心をついています。

拝島 校長先生、本当の気持ちを教えてください。先生だって、こんなこと、本当はおかしいと思ってるんでしょう?

    与田、背を向けたまま、立ち止まる。

拝島 ついこの間まで、まだこれほどの強制が行われる前まで、あなたは卒業式でも入学式でも、必ず内心の自由について説明した。「内心の自由、つまり、思想及び良心の自由は、あの戦争を経て、ようやく私たちが獲得した自由です。『君が代』については、さまざまな意見があるでしょう。ここには外国籍の生徒もいる。歌うも歌わないも、みなさん自身で決めてください」……あの説明が好きでした。在日コリアンの生徒が、涙を浮かべて聞いていました。

与田 (向き直り)ああ、確かにそう言ったよ。あの頃は、そう言うのが正しいと信じていた。だが、今はそう思わない。国歌斉唱の前に、あえて内心の自由の説明をすると、「歌わない」自由ばかりを強調することにならないかい?まだ成長過程にある生徒たちに、一方的な考えを押しつけることにならないかい?

拝島 立って歌うという以外の選択肢を示さない。それが問題だと言ってるんです。たとえ、国民主権を高らかに歌う国家ができたとしても、それを学校で押しつけて、処分者を出すんなら、僕はやっぱり反対します。

 セリフは以上です。

 私自身は、国旗や国歌が嫌いなわけではありません。日本の国旗はデザイン的に優れており、美しいと思いますし、オリンピックで君が代が流れれば、嬉しいです。しかし、学校の卒業式で強制的に国歌を歌わせる今の日本、これは明らかにおかしいと思っています。いや、強制的とは、もはや感じられていないかもしれません。ただ歌うべきものとして、そこにある。何の疑問も感じず、歌い、歌わせる。なぜ、歌いたくない人がいるのか、あるいは過去にいたのか、考えようともしない。市議会の場で云々言う問題ではないかもしれませんが、6月の議会では、子どもたちが卒業式で他の歌は大きな声で歌っているのに、国歌は口を開けて歌っている人が少ない旨のご意見がありました。それに対し、市は「学習指導要領に基づいた適切な指導を行ってまいります。」と答えています。

 強制はしないと当時さんざん聞かされた記憶がありますが、国旗、国歌法ができてから、日本人の中に、そして卒業式における学校の中に「考えないこと」が推奨されているように思えてなりません。これは先に述べた新しい学習指導要領の目的に完全に反しています。

ドイツ系ユダヤ人でナチスからの迫害を逃れ、アメリカに亡命した政治哲学者ハンナ・アーレントは、当時の惨劇の底に「凡庸な悪」を見いだし、「平凡な人間たちが皆、思考を停止し、周囲に同調して悪魔の所業に加担した。」と述べています。「思考の停止」は、「真の教育」に最も反するものです。

 市立小中学校の先生方は公務員です。法律の中で行動せざるを得ないことは理解しています。しかし、私は先生方にもっと考えてほしい。教育者として、何ができるのか考え続けてほしい。子どもたちと一緒に「考える教育」を実践していただきたいと思います。