共謀罪考

2017年7月13日 20時40分 | カテゴリー: 活動報告

7月11日、共謀罪法が施行されました。これに伴い、日本の国連代表部は同日、犯罪組織に関する捜査情報を各国と共有できるようにする「国際組織犯罪防止条約」の受諾書を国連法務局に提出し、条約を締結しました。まずはめでたい、といったところでしょうか。共謀罪成立の目的がこの条約の締結であったわけですから。これで東京オリンピックも安心して開くことができる、と。

この「改正組織犯罪処罰法」がテロ対策に本当に有効かどうかは意見の分かれるところでしょう。テロは誰にも相談せず、独りで行うことも可能ですから、全てのテロ犯罪に有効ではないことはたしかです。法律の名のもとに警察が動きやすくはなるでしょうから、少しは抑止力になるかもしれません。

この少しの安心と引き換えに、私たち国民が失ったものはとても大きいと私は思います。もはや、ものを考え、言うことのできる自由は失われてしまいました。しーっ、こんなことを表立って言ってはいけない、と思い始めた人々は、やがて沈黙します。沈黙し、話し合わない人々は、やがて考えることをやめます。黙っていろ、何も考えるな。そして何事もただ従うだけの人間が出来上がります。まさかそんなことが、と思う社会は世界を見渡せば、現在も存在します。日本がいつそうなってもおかしくはありません。

オリンピックは時期が来れば終わりますが、法律は残ります。政府は、強行採決によってこの法律という武器を手に入れました。手に入れた武器を人間は使ってしまう生き物です。銃があれば撃ってしまうことをアメリカ社会は証明しています。

大岡昇平『野火』に、次のような記述があります。フィリピンで廃兵となった主人公が現地の女を撃った理由についての文章です。
「すべてはこの銃にかかっていたのを、私は突然了解した。(略)もしあの時私の手に銃がなかったら、彼女はただ驚いて逃げ去るだけですんだであろう。
銃は国家が私に持つことを強いたものである。こうして私は国家に有用であると同じ程度に、敵にとっては危険な人物になったが、私が孤独な敗兵として、国家とって無意味な存在となった後も、それを持ち続けたということに、あの無辜の人が死んだ原因がある。」
そして主人公は、銃を川に捨てるのです。

この小説が教えてくれる意味を、私たちはこれからも考え続けていく必要があると思います。