「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」に参加しました

2017年7月30日 17時23分 | カテゴリー: 活動報告

福田繁雄 作品1(ネットの図像を転載)

福田繁雄 作品2 (ネットの図像を転載)

美術館内の様子 彫刻は福田繁雄の作品

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月15日(土)川崎市民ミュージアムで行われた「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ~ことばで旅するコレクション」に参加しました。

都内を中心に活動する団体「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」と美術館が協力し開催されたプログラムです。コレクション展「福田繁雄と松本俊夫」の作品を3点鑑賞しました。ナビゲーターは、「ワークショップ」メンバーの木下路徳さんで、全盲の方です。中途失明なので、色のイメージなどは伝わるとのことでした。

視覚障害者の美術鑑賞というと、彫刻など立体的なものを触覚で感じる、など視覚以外の感覚で鑑賞するものを思い浮かべますが、今回の鑑賞方法は、「言葉で鑑賞する」とでもいいましょうか。触れることのできない、また触れてもただ平らなだけの絵画などを前にした鑑賞です。今回は、福田繁雄のポスターと松本俊夫の映像でした。

10人ほどが一つのグループになって作品を取り囲みます。木下さんを囲んで、周りの人たちは彼に作品がどういうものかわかってもらうために様々な言葉を発します。上記、福田繁雄の作品1を目の前にして、30分近くしゃべったでしょうか。「黒と白だけの絵です」「紺色かな?」(実物は、ほとんど黒に見えました)「足がふたつあります」「ぐるぐると渦巻いている両端に足袋をはいている足がある」「阿波踊りを踊っているみたい」「下の方の足はつま先立ちで、その先に朱色で字が書いてある」「ケーワイオージーイーエヌ、キョーゲンとアルファベットの大文字です」「その下に小さい文字でアメリカの都市の名前や西暦年が書いてある」「公演のポスターかな」「でも日にちが書いていない」etc.

木下さんは、これらの言葉からどんな作品か想像を膨らませながら、「○○さんにはどう見えますか」など、質問を発してきます。(初めて会った人たちなのに、声だけで誰かわかるみたいでした)「みなさんが、字を読むために絵の近くに寄っているみたいだから、小さな字なんだなと思いました」など、感想も言います。「どうしてそう思うのですか」など、言葉の誘導もします。その後も、「うどんみたい」「こしのあるうどん」「字の位置が絶妙」などなど、話は尽きず、時間を見計らって次の絵(作品2)に移りました。

参加者は、「視覚障害者」に作品が伝わるように言葉を発していきますが、彼の鑑賞の「支援」をしているわけではありません。かえって、彼に「手助け」してもらって参加者が作品の理解を深めている、と言ったほうが当たっているような気がします。ですから、彼はナビゲーターなのです。大和市で小学生向けに行っている「対話による美術鑑賞」と似ていますが、形や色など目に見えることを言葉にしなければ始まらないところにこの鑑賞法の特徴があります。「伝えたい」という人間の持つひとつの欲望を掻き立てる鑑賞法とも思います。他の人の言葉を聞いて、作品に対する自分の理解や考えが深まっていくのはいうまでもありません。

作品2は、一見して思想性のある作品だと思いますが、これについても下の方の筒が、大砲ではないかとか、瓶の口ではないかとか、様々な意見や感想が出されました。この作品については、作品1の時とは違うことを感じました。目が見えないナビゲーターは、ひとつの作品を前にして、他者の言葉からしか情報を得ることができません。おのずと一つの作品のみに集中することになります。ところが目の見える人たちは、展示室に入るといやでも他の作品が目に入ります。ここには、作品2の他にも平和を象徴するマークを変形させたり、ミサイルの形でどくろを形作ったりする作品などがあり、戦争や平和について描かれたものの展示室だということが一目瞭然です。
その中で作品2を見て、私はこれを武器以外の物と感じるのが非常に困難でした。簡略化されていますが、多分、作者が描こうとしたのは武器、たぶん鉄砲と銃弾のようなものでしょう。弾が発射したものと反対向きになっているのは、銃口にふたをすることによって銃の使用をやめる、それがVICTORYなのだと言っているのだと思います。
この解釈は、たぶんあっていると思います。が、作品が発する他の可能性を排除してしまいます。発言の中には、弾が銃口に向かって来ていて、銃を持っている人に当たる一瞬前である、というのもありました。とすると、弾を撃った側のVICTORY、ということになります。また、これは瓶の口のところで、シャンパンの栓が抜けたところだ、という人もいました。とすると、VICTORYは、何かのお祝いの意味かもしれません。
このような解釈の可能性を周りの作品が打ち消してしまう。それはよいことなのか、悪いことなのか?
見えることの欠点と見えないことの利点というものがあるのではないか?

芸術は、作者が作り出すものであり、また鑑賞者が作り出すものでもあります。作者が意図していないものをも感じたり意味を見いだせる、それが鑑賞者の創造性です。すぐれた作品が奥深いと感じられるのは、そのような面があるからでしょう。
この鑑賞方法は、ひとつの作品をじっくり見ることにより、鑑賞の創造に近づいていくことが可能です。たくさんの作品を短時間で味わうことはできませんが、参加者の誰もが充実した時間を味わったと感じていたと思います。
目の見えない人と作品を鑑賞すること。その面白さと奥深さの一端を垣間見ることのできた一日でした。