いのちの意味が問われる時代にー伴走支援を考えるー 奥田和志さんをお呼びして

2017年10月1日 13時20分 | カテゴリー: 活動報告

9月28日(木)、神奈川ネットワーク運動事務所にてNPO法人抱撲理事長の奥田和志さんをお迎えした学習会が行われました。困窮している人に、なぜ支援を行う必要があるのかという視点から私たちの住む社会を見直し、2015年に始まった「生活困窮者自立支援制度」の今後についてまで話が及びました。

相模原殺傷事件の意味することについての論考から話が始まりました。事件は、生きる意味のないいのちを殲滅する、という明確な意図のもと行われたということ。事件に同調して、生産性のない人間が迫害を受けたり差別されるのは当然だという意見があること。残念ながらこれらの意見は、現在の価値観の一端を示しています。勝ち組と負け組、正規と非正規、意味のあるいのちと意味のないいのち。これらの相対概念によって社会と私たちは分断され続けています。

事件の容疑者についてどう思うか、というひとつの問題提起があります。彼の犯した罪は赦されるものではありません。赦せないというのは、まっとうな感情と思われます。しかし、「大罪を犯したお前は生きる資格はない」と彼に向って言ってしまったら。それはすなわち、「生きる資格がない人間がいる」ということを肯定することにならないでしょうか。彼を批判しながら、「生きる意味のないいのちがある」と言って事件を起こした彼と同じ場所に立ってしまうことになります。

生きる意味とは何か? 人間にしか疑問に思うことができない根源的で哲学的な問いです。もしかしたら、私たちはそれを探すために生きているのかもしれない。
しかし、分断された今の社会を変えていくためには、「いのちに意味がある。生きることに意味がある。」と思うことが必要です。すべてのいのちを肯定することを出発点にしなければ、いかなる支援もあり得ません。そして困っている人を支援するのは、自分がより生きやすい社会に生きるためでもあるのです。

そこから、「伴走型支援とは何か」という話に移りました。伴走型支援の十の基本理念とは、下記のものです。

第一の理念 「人(であること)を大切にする支援―弱さを前提とする社会」
第二の理念 「困窮を社会化して捉える支援ー自己責任が取れる社会」
第三の理念 「人まるごとの包括型支援ー断らない支援・出向く支援」
第四の理念 「二つの困窮概念を持つ支援ー『経済的困窮と』と『社会的孤立』とそのスパイラル」
第五の理念 「二つの対象を持つ支援ー「対個人」と「対社会」」
第六の理念 「存在の支援―問題解決では終わらない。伴走は手段ではない」
第七の理念 「当事者主体の尊重と出会いの支援」
第八の理念 「相互性の支援ー自尊感情と自己有用感」
第九の理念 「物語る支援―人は『誰のために』生きるのか」
第十の理念 「終わりなき支援-「支援」から「お互い様」へ。日常の構築と助けてと言える社会」

伴走型支援の目的は、人に寄り添って伴走する関係を作ることです。伴走を前提とした日常をつくる時、私たちは「助けてと言える社会」を作りだすことができます。これが伴走型支援の最終的な目標であると奥田さんは言います。
「困ったときはお互い様」という言葉があります。社会的孤立状態にある人をなくし、「お互い様」を基調とした「何気ない日常」があるとき、この世の中から「困窮者」はいなくなるはずです。

生活保護制度は、物理的援助を行うものですが、生活困窮者自立支援制度は、「困窮者」をなくすためのシステムです。2018年に改正法案を提出するための検討会委員である奥田さんは、法案の中に「社会的孤立」という言葉を入れる必要を説かれています。経済的に困窮しておらずとも、引きこもりの人などを救うことができる制度になり得ます。
一歩一歩、改善することにより、全てのひとが生きる喜びを実感できる社会に近づけるはずです。そのために自分にできること。それを考え続けていくことが大切だと実感した時間でした。