山崎さゆきの主張2 憲法について、その他国の動きについて

現在の憲法を何が何でも守り抜かねばならない、と考えるわけではありません。
70年前と現在の人の意識は変化しています。人権に対するものなど、昔では想定してもいなかった新しい考え方が生まれています。

しかし、自民党が変えようとしている憲法改定のやり方には、はっきりとNOといいます。

そもそも憲法は、国民が権力者を縛るためにあるものです。
今の憲法ではだめだ、自分たちにもっとふさわしい憲法があるはずだ、という機運が国民の中に生まれ、運動となり、多くの人が政治に関心を持ち、それでも変える必要があるとなれば、国民の代表が集まる国会で議論が始まる。これならわかります。

しかし、現状は違います。権力の頂点にいる人たちが変えたいと思っているから、変えようとしているのです。おかしな話です。

最大の争点である憲法9条。これがあるゆえに、日本は戦後、戦争に巻き込まれることなく平和の中にありました。ただ実際、自衛隊は大きな戦力を持っています。また、集団的自衛権を認めた安全保障関連法案が2015年に成立してからは特に、現状と憲法とは確かに整合していません。整合性を保つために憲法を変える。権力者が自ら縛りをほどこうとしているのです。憲法の意味を理解しているとは思えません。

神奈川ネット大和市民会議は、市民で集まって日本国憲法と自民党の改憲草案を読み比べています。自民党草案は、一見見逃しがちなところに変化をつけています。

例えば第13条
日本国憲法は、「すべて国民は、個人として尊重される。」
自民党草案は、「全て国民は、として尊重される。」

「個人」と「人」。その違いをいつも深く考えている人はいないでしょう。しかし、「人」という言葉が、独立した「個人」の否定である、と考えればそこに違いは生まれます。

また13条の続き
日本国憲法は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
自民党草案は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」

「公共」と「公益」。これは、個人と人よりわかりやすいかもしれません。「公共の福祉」は、人権相互が衝突する場合に限定される言葉です。「公共及び公の秩序」は、より広範な権利の制限が可能となる言葉です。「公益」という言葉の怖さは、戦前戦中の時代を考えれば一目瞭然です。国の方向、すなわち公益です。

その他にも、第3条「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」、第24条「家族は、互いに助け合わなければならない」など、自民党草案は、権力者を縛るものではなく、国民を縛っていこうとする姿勢が顕著です。

私は、これから将来にわたって、自由にものが言える国の国民でありたい。
多様な個人からなる国民が主権を持ち続ける国の国民でありたい。
そのために、これからも発言を続けていきます。

 

議場等で発言した国政や思想に関する私の考えは、活動報告の下記の記事をご参照ください。

 

2015年9月「安全保障関連法案成立」

2016年5月「憲法記念日を前に」

2016年7月「大和市の後援名義に関する要領の適正な運用を求める決議」反対討論

2016年12月 一般質問「文化について」

2016年12月 一般質問「教育について」

2017年4月「共謀罪反対の意見書を提出しました」

2018年7月「道徳の教科書採択について」