表現の自由について(2019年9月一般質問より)

一般質問「海外友好都市について」に絡めて、愛知トリエンナーレで問題となった表現の自由について発言しました。今後は、公共施設で行うイベントについて批判や脅しに動じない体制作りが重要です。表現の自由とヘイトについて考察しています。

以下、内容と答弁です。

 日韓関係悪化の中、この夏、あいちトリエンナーレ2019の表現の不自由展・その後において、従軍慰安婦を題材とする韓国人作家の平和の少女像を含むコーナーが展示中止となりました。表現の自由についての議論が新聞などで大きく取り上げられています。展示中止の理由は、企画者の想定を超えた抗議行動があり、関係者や観客の安全を考慮した結果とのことです。自分の意にそぐわない展示に対して批判をすれば展示を中止できるという事例をつくってしまったことになります。本市では、シリウス等に講演会や劇場公演を行うホール、美術展等を行うギャラリーなどの多くの文化施設を抱えています。この問題は今後開催する企画に大きく影響を及ぼすものと考えます。かつて本市でも、中立の名のもとに、市の後援名義について批判が集まるなど、今回の事例の先駆けとも言える出来事が起こったこともありました。その後のイベントについてお伺いします。

質問

 シリウスにおいて中止になったイベントがあるかどうか、お伺いします。

 答弁

 文化スポーツ部長:シリウスにおいて中止になったイベントについてお答えいたします。

 やまと芸術文化ホールにおける事業につきましては、平成28年11月の開館以降、イベントが開始された後に中止になった事例はありません。

 今まで何らかの理由で中止になったイベントはないとのことで、安心しました。ただ、これからは、イベントの実施について注意が必要になるかもしれません。気に入らない展示や公演などに対し、クレームがふえることが予想されます。注意すると言っても及び腰にならない姿勢が必要です。議論を引き起こすイベントを公共施設で行う意義はあると私は思います。

 あいちトリエンナーレの事例では、表現の自由について、新聞紙上などに広く意見が寄せられました。神奈川県に関しては、黒岩知事が、平和の少女像に関して表現の自由から逸脱している、自分なら開催を認めないと発言し、批判を受けました。武蔵野美術大学教授の志田陽子氏は、発言は表現の場としての県内の公共施設に萎縮を生じさせかねないと異を唱えています。政治家がイベントに関して発言することは権力の介入であり、検閲ととられかねませんから、注意が必要です。9月3日には、知事は、検閲をして気に食わないものを全部展示とか表現させないという思いは全くないと述べましたが、慰安婦像に関しては、展示に税金を出すと県民が絶対許してくれないと述べています。県民が許してくれないかどうかは展示してみないとわかりません。絶対許してくれないだろうと思うのは、単なる思い込みです。主催者側の思い込みによって表現の場が規制されること、また、担当者レベルで自己規制を拡大し、自由な表現の場が失われること、これは避けなくてはなりません。

 河村たかし名古屋市長の発言も大きく取り上げられました。日本国民の心を踏みにじる行為で、行政の立場を超えた展示、主催は名古屋市であり、愛知県、国のお金も入っているのに、国の主張と明らかに違うなどと述べています。これは国の主張と違う展示は税金を使ってやってはいけないとあからさまに述べているもので、論外と私は思います。かつて国の意向にそぐわぬ作品を退廃芸術と名づけ排斥した国の事例を思い起こさせました。

 表現の自由の危機と相反する主張に、この展示はヘイトであるというものがあります。表現の不自由展では、元慰安婦を象徴する平和の少女像のほか、昭和天皇の肖像写真が燃える動画作品も批判の対象となりました。来場者の中には、「正直、不快だった、幾ら表現の自由とはいえ、天皇の写真を焼くような動画を行政がかかわるイベントで見せるのは行き過ぎだ」「少女像も昭和天皇の動画も余り芸術性を感じず、心を豊かにするものではなかった」と感想を述べていた方もおられます。

 産経新聞は、8月12日の社説「主張」で、この企画展は、昭和天皇の写真を燃やす映像や、史実をねじ曲げた慰安婦像など、日本に対するヘイト(憎悪)行為が見られた。表現の自由の乱用と言えるとはっきり述べています。
 憎悪と受け取りかねないものや、見ていて不快なものは、ヘイトなのでしょうか。
今後、展示やイベントを行う際には、その線引きをはっきりさせておく必要があると考えます。
少なくとも開催にかかわる職員の間では議論を尽くし、対策すべきです。脅迫は警察に対処してもらうべきものですが、抗議する人に、これはヘイトであると言われたときにきちんと反論できないと、クレームや抗議に押しつぶされてしまいかねません。

 ヘイトとは何でしょうか。
 英語の意味は、憎悪、反感などです。日本語として単独で使われることは余りなく、ヘイトスピーチやヘイトクライムのほうが一般に知られています。
岩波新書の師岡康子著『ヘイト・スピーチとは何か』によると、ヘイトスピーチは、「ヘイトクライムとともに、1980年代のアメリカでつくられ、一般化した用語」です。日本では憎悪表現と直訳されたこともあり、いまだ一部では、単なる憎悪をあらわした表現や、相手を非難することは一般のように誤解されていますが、用語の成立の経緯から見ると、本来はマイノリティーに対する否定的な感情を特徴づける言葉で、憎悪感情一般ではありません。
ですから、2016年に公布されたヘイトスピーチ解消法も、正式名称は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律です。

 ヘイトスピーチは、攻撃された本人が身の危険を感じる、トラウマになるなど、実害がある発言です。規制に対して表現の自由の侵害だという意見がありますが、本来のヘイトは表現の自由とは区別されるものです。
あいちビエンナーレで問題となっている昭和天皇の写真を燃やす作品、従軍慰安婦を象徴しているとされる平和の少女像は、ですから、ヘイトとは言えません。不快に感じる人はいるかもしれませんし、そこに憎悪を感じる人もいるかもしれませんが、それを見て身の危険を感じる人はいないはずです。
あいちビエンナーレの展示については、愛知県が設置した外部有識者でつくる検証委員会第2回会議が昨日17日に行われました。中止になった展示について丁寧な説明と適切な展示方法が欠けていたと結論しましたが、不自由展の企画自体は不適切であったとは言えないとしています。

 美術展などの展示を見て不快になることはいつでもあり得ます。現代芸術はただ美しいだけのものではありません。政治的なものだけではなく、エロチックなものやグロテスクなものは不快に思う人のほうが多いかもしれません。

 首都大学東京教授で社会学者の宮台真司氏は、「自由な表現としてのアートは200年前に、社会の外を示すものとして成立した。作品の体験後に日常の価値に戻れないよう、心に傷をつける営みとしてみずからを娯楽から区別してきました」と述べています。ですから、1917年にマルセル・デュシャンが発表した「泉」という作品がアートとして認知されているのです。この作品は、市販の男性便器にサインをした、それだけのものです。

 展示物や公演、上演作品に全く中立なものはあり得ません。人が見て感じることができる機会を行政が奪ってはなりません。そのためには、観客の教育も重要です。学校教育で取り入れられようとしているアクティブラーニングは、見て自分で判断する力を養うことができる教育です。物の一面だけを見るのではなく、作者はこれで何を言おうとしているのか考え、それとは反対の意見は何か知り、自分で判断を下すことができる、そのような市民がふえてこそ、成熟した文化都市に本市はなり得るはずです。